ニーズと創作の難しさ・・・。(映画『怪物』のネタバレ若干あり)

世の中のニーズと自身が創作したい事との両立が難しいことは、僕のような素人に毛が生えた程度の人間でもよくわかります。

先日、映画『怪物』を観ました。
子供の不穏な変化に怖さすら感じるスタートでした。しかし視点が変わり、それぞれの登場人物の事情が分かってくるとあらゆる事象の伏線が次々と回収され、「なるほど、だからなのか」と小さくうなずきながら物語を追っていました。
坂本龍一先生のメロディーと共に映画を締めくくった時は久しぶりに泣いていました。
儚くて美しい作品です。

さて、この作品。様々な社会的問題への提起がされており、「無自覚な不理解」の恐ろしさを感じさせます。
その中には昨今叫ばれるジェンダー問題にも触れられており、これは物語でも重要な要素となります。
現実の世界でも、性自認が周囲と違うことで悩んでいる人は多くいらっしゃいます。
その悩みや葛藤を、作品では感動するための要素としてと昇華させています。
この辺りの扱いが、とても難しい・・・。
「実際に悩んでいる人たちの苦悩を利用しているだけだ!」なんて言われかねないのです。
所謂「感動ポルノ」としてみられるわけですね。
実際、『怪物』の映画レビューでもそういった意見がいくつか見られました。

ディズニーが特に顕著なのですが、近年は敢えて性的マイノリティを主人公にしたり、これまで白人として起用されていたキャラクターが黒人として描かれるなど、性的にも人種的にも平等だということを常にアピールすることが求められているようになっています。

もちろん、差別や偏見はあってはならないことですし、それを是とする社会は私も嫌いです。
ただ、それをアピールすることが別の視点からは問題視されているのもまた事実です。

本当に難しい・・・。
これだけ語っておいて無責任かもしれませんが、この手の専門家でもない私が答えを出すなんて到底できるわけがなく・・・。

作品は変わりますが、似たようなことが現在の大河ドラマ『どうする家康』でも起きています。

作中では、悪女として語られてきた家康最初の妻・築山殿のイメージアップが強く出ています。
彼女は、「足りないものには、余っているものが分け与える。慈愛によって成り立った国造り」と当時では(今もでしょうか)現実的に考えられなかった国造りを考案し、それに誰もが疑うことなく賛同するわけです。信長でも秀吉でも思いつかないような妙案を、一介の女性だった築山殿が思いついていたという訳です。

大河ドラマは、あくまでも史実を基にした「フィクション」。歴史上不明瞭な部分は、監督の解釈の見せ所なわけです。
築山殿も、悪女として語られてはいますが、それ以上の詳しいことはわかっていません(というよりも、そもそも女性についてはあまり記録に残らない傾向にあります)。なので、今回の監督や脚本家の解釈が「史実とかけ離れている」とは断言できませんが、それでも今回の築山殿の扱いには、賛否が分かれるほど不自然だったわけです。

う~~~~ん。
難しいですね。

なんて書いてる時間があったら、漫画を描きなよ。という訳ですが・・・。

それでは。

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