「すずめの戸締まり」※ネタバレ注意

今日は、11月11日公開の新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」を観に行きました。

本日のお客さんもほぼ満席の状態でしたが、いい席を取れたのでよかったです。

それでは、ストーリーで感じたことをつらつら書いていきます。(ネタバレ注意です)

物語は、九州の過疎の町から始まります。叔母と二人暮らしの少女鈴芽(スズメ)は、旅の青年・草太(ソウタ)と出会います。ソウタは、日本中の廃墟に存在する『後ろ戸』を閉じていく旅をしている『閉じ師』という存在でした。『後ろ戸』かたは、地震や疫病などの役債が出てきてしまうため、それを閉じる必要があったのです。しかし物語の冒頭、ソウタはスズメのせいで『後ろ戸』から出てきた不思議な猫・ダイジンの呪いで小さな椅子に姿を変えられてしまいます。

ソウタを元の姿に戻すため、日本中の『後ろ戸』を閉めて各地の厄災を鎮めるため、スズメはとソウタと共に旅に出るのでした。

今作は、『君の名は。』や『天気の子』に比べるとコミカルな部分が目立って、所々笑ってしまうところもありました。しかし、その反面ストーリーの根幹にあるテーマは「災害を鎮める」ということであり、明らかに東日本大震災を意識した自身の存在が確認されました(ここは、公開前から当震災について触れる旨が発信されていたので知っていましたが)。

そして、劇中で自分が一番印象的だった表現は、「そのような大きな災厄でさえも」時と共に忘れ去られてしまう可能性が示唆されていたことです。災厄を振りまく『後ろ戸』は、日本各地の廃墟に存在していました。廃墟となった理由は、土砂崩れ等様々でしたが、今となっては人から忘れ去られていくような場所となっていたことが共通しています。そして、その『後ろ戸』を閉じるために必要なことは、かつてそこに住んでいた人々の気持ちや営みを感じ取ることなのです。

ソウタが変身してしまった椅子も、もともとは幼いころのスズメが愛用していた母お手製の椅子でした。劇中では、スズメが「いつから大切にしなくなったんだろう」と、幼いころに母に言った「一生(椅子を)大事にするね」という約束の言葉を思い出すシーンもありました。

クライマックスでは、スズメの故郷で東日本大震災の被災地でもあった東北地方で、最後の封印を行います。そこでも、かつて震災前に暮らしていた人々の「いってきます」や「ただいま」という日常の何気ない会話の切れ端が連想されていました。

東日本大震災から10年以上経ちました。あの日を忘れたわけではありませんが、あの日あの時まで何気ない日常を過ごしていた多くの人がいたことを改めて痛感させられました。そして、災害でなくとも地方の片隅には忘れ去られた町があって、その街にも人の営みがあったんだということも思い起されました。

予想以上に、自分にとって刺さる物の多い映画となりました。

新海誠監督始め製作陣の皆さん、本当にお疲れさまでした。素敵な作品をありがとうございました。

それでは。

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